アクティブフィルムと銀塩写真について思う事。それはフィルムカメラを使いたいと思っていても、使われていた時代の銀塩写真でやってみたい。
という時に、有名な方の共著の本でも『ネットで調べれば現像を受け付けてくれるお店 やラボはヤマのように出てくる』それは、本当でしょうか?多くは、フィルムをデジタル化して、デジタル機でプリントしている処が多くでてくるラボです。
今動かしている銀塩写真用のプリンタープロセッサーは1997年製です。ほとんどパーツもメーカーにありません。ですから2台と1/2の機械を狭い店に置いて、部品取りをしながら動かしています。
また、フィルム現像機自体が中判フィルム(120・220サイズフィルム)を処理出来るものが製造されていません。
大手のメーカー系のラボは、N&Fという修理専門の会社に修理を依頼して、保守契約をむすび、日々写真をデジタルで生産しています。
フィルムカメラもほとんど生産されていないように、処理可能な現像機自体が今後無くなるという事が問題なのです。
中判カメラがあるのに使えなくなるのでは?
という事で、35mmフィルムが中判カメラでも使えるようにActive Filmの特許申請をしました。
フィルムを昭和から平成の時代が変わってもフィルムの原形としての楽しみ方は、ネガフィルムにハロゲン光を照射し引伸しレンズで焼くという昔ながらの方法が今だったら、楽しめる事が重要と考えます。
歴史は繰り返すものです。デジタルで加工された行き過ぎたバーチャルなものから、
自然なそのまんまの銀塩写真が楽しかった事に気づく人たちがふえてくると思うのです。
具体的にいいますと、
フィルムが存続するか?
ではなく、フィルムを現像する120サイズ・220サイズの・フィルム現像機が存続の危機の状態にある。
デジタルだろうが、銀塩だろうが写真の価値は変わらない?
何処のポイントをおくかで、違ってくる。それはサイズだったりヘアラインのような線再現の違いがあるのではないか。
フィルムとデジタルの違いとは実際具体的に何が違うのか?という根本的問題が抜け落ちているのではないのか?
フィルムの柔らかな、表現が記憶色に近かったり、脳で見ている人間の視覚に近いという事ではないか。
ネットで調べれば現像を受け付けてくれるお店やラボはヤマのように出てくる?
本物の銀塩写真で処理出来る所は、実は激減していて、デジタル処理をするラボが我田引水的にネットで誘っているだけの事でモラルやコンプライアンスは、0円プリントの時代から無くなっています。それでもフィルムを継続して頂けるのなら、価値は充分あると思います。
例えば、21世紀にはいり、ラボで使われるアナログプリンターは一切製造されていない。うちで使用しているQSS2301型のような、アナログプリンター自体が修理会社が保守契約を結べませんし、部品供給がおぼつかないので大手ラボにも残っていないのが現実です。
メーカーにもQSS2301型は今から8年くらい前に処分をして、1台も残っていないと社員の方から伺いました。
フィルムメーカー系ラボにも、また基幹ラボにも銀塩プリンター自体がないと言うのが実態です。
フィルムカメラを楽しもうというメッセージです。